今あえて、ジョン・マケインについて熱く語る

kkomiyama2009-02-05

まえがき マケインって誰?

若くてスター性のあるオバマアメリカ大統領の座を手にした。日本のメディアも、『オバマ! オバマ! 小浜市! オバマ! ノッチ!」というもてはやし様である。いやめでたい、めでたい。

そして、こんな次期だからこそあえてジョン・マケインという人物について語っておきたい。もう忘れさられていても不思議はない。マケイン上院議員オバマに惨敗した共和党の大統領候補だ。今から書くことは、マケインという人物の一面だけに焦点をあてているし、僕は思い込むとつい筆が滑る傾向にあるので、そのあたりを差し引いて読んでいただけるとありがたい。人伝に知った、日米のメディアが取り上げないような大統領選のさなかの出来事のことだ。


背景 子供が失踪する国アメリ

アメリカでは子供の誘拐が大きな社会問題となっている。それらはChild abductionやChild stealingという特別な言葉で表現されることが多く*1、誘拐された子供は人身売買の末に主に強制労働・児童買春・児童ポルノなどの被害にあっている。正確な規模は不明だが、1999年だけで5万人を超える子供の捜索依頼が司法機関に出された*2。1年で5万人という数字も驚きだが、さらに深刻なのはこの数字が氷山の一角で、1999年以降現在まで状況は悪化の一途をたどっているという点である。

知人の1人が数年前からこの問題を解決するためにロビー活動を行っていた。具体的には

  1. FBIや州警察などの捜査機関に「児童誘拐」専用の予算を割り当てる。
  2. 児童誘拐や児童売春の容疑者のデータベースをつくり、捜査機関で共有する。

という2つのポイントを盛り込んだ立法を呼び掛けていた。
1は児童誘拐の件数が多すぎて、通報しても捜査がされないという状況を解決するためである。FBIなどが捜査を行うのが全体の発生件数の2%に満たないそうだ。2は警察のような大きな組織は情報の共有なんて全くされていない。データベースなどを整備しないと、10万人はいるという容疑者を管理できない。児童誘拐への世間の関心は今ほど高くなかった。知人のロビー活動は難航したそうだ。


強力な理解者マケインが作ったSAFE Act of 2007 (S. 3344)

知人が幸運だったのは共和党の大物議員で民主党にも強い影響力を持つマケインが趣旨を理解してくれたことだった。マケインは数年前から性犯罪者から子供をまもるための活動に熱心であった。彼は周囲の議員や民間の企業によびかけ、法案の内容への理解を求めただけでなく、自らがスポンサーとなって”SAFE Act of 2007 (S. 3344)"という法案を上院に提出した。アメリカの議会にかけられる法案は各議員がスポンサーとして名を連ねる。お金を払うわけではなく、法案提案の責任者と捉えればよいだろうか。マケインのような大物議員がライバルの民主党議員のスポンサーもとりつけ議会にかける法案である。議会の承認を得られる見込みは高かった。これが2007年2月の出来事である。


遅れてやってきたバイデンとProtect Our Children Act (S. 1738)

さて、経緯はわからないが、マケインが作ったSAFE Act of 2007 によく似た法案が今度はライバル民主党のバイデン上院議員がスポンサーとなって提出された。名前をProtect Our Children Act (S. 1738)という。マケインに遅れること4か月、2007年6月末のことである。ジョセフ・バイデン民主党の重鎮でノッチ、じゃなかったオバマの副大統領候補をつとめる有力者であった。法案をサポートする議員の数はマケインの法案よりも多かった。


政局に流され成立の見込みが立たない法案。マケインの選択。

その後7月にマケインが作ったSAFE Act of 2007 (S. 3344)が議会で審議されるが、民主党の反対*3で可決にいたらない。当然である。2008年7月は来る大統領選を控えて共和党民主党の間で綱引きが続いていた時期である。共和党オバマがスポンサーする法案を須らく潰そうとし、反対に民主党はマケインがスポンサーする法案を否決しようと躍起になっていた頃である。
児童を狙った誘拐はその間にも日々発生し続けている。そんな児童を救うことができる法律が2つも議会に提案された。しかしどちらの法案も賛成多数を得て成立が見込めない均衡状態となった。誰も幸せにならないこう着状態である。

2008年夏、この膠着を破ったのはやはりマケインだった。彼はこう言ったという。
「この法案は子供たちを守るためのものであり、政争の具としてはいけない種類の法案だ。可決を優先するために法案から私の名前を外しなさい。」*4

マケインが児童誘拐の問題に早くから取り組んで法案通過に尽力してきたのは確かである。彼の業績はSAFE Act of 2007 (S. 3344)のスポンサーとして刻まれるはずであった。しかしマケインは自分の手柄を捨て、党利を捨て、法律によって一刻も早く子供が救われることを望んだのである。


手柄は民主党のバイデンへ

マケインがこの争いから手を引いたことで、その後2つの法案はバイデンのProtect Our Children Act (S. 1738)に一本化(吸収合併)され、2008年9月27日に両院を通過。10月13日にスペルミスの多い大統領が署名をして無事成立した。最大の功績者は民主党のバイデンということになる。法律には議員の名前がズラズラと並んでいるが、真の貢献者マケインの名前はどこにもない。マケインがこの法案のために汗をかいたことを知るのは限られた関係者だけである。


ちょうどその日はディベートだった

知人からそんな話を聞いた日の夜、僕はホテルの部屋でオバマとマケインの最後のTV討論会を見ていた。それは奇妙な光景だった。

10年後には中東から石油を輸入せずにエネルギーを自給する!
イラクからは完全撤兵!
税金は安くするけど手厚い保険制度!
水道屋のジョー、私は約束をまもります!

と夢をぶちあげるオバマに対して、マケインは「本当にそんなことできるのか?」と馬鹿正直に問うていた。大統領になろうとする人間であれば「私ならもっと税金は安くするけど、もっと手厚い保険制度を実現する!」などと切り返さなければいけない場面である。それを見て、この選挙はマケインが負けるだろうと思った。

オバマには夢物語を図々しく語る若さと図々しさがあり、マケインにはそれがなかった。無謀な夢を語る息子を厳しく見守る父親、マケインがそう見えたのである。あの日マケインはすでに負けを覚悟していたのではないか?とも思う。


話が長くなったけど、これでおしまい

マケインの凄いところを周りの友人に伝えたくて書き出したブログが、実に長くなってしまった。最初にこの文を書きだしたのは大統領選の最中、もう3か月も書いては直しての繰り返しである。裏を取るために資料を読む時間が必要だったが、それ以上に「自分はこの事実から何を教訓として得るのか」わからなかった。今でもよくわかっていない。「無私の心が大事」とか「正義を貫け」とか綺麗な言葉にすると嘘くさくなる。

一つだけ自信を持って書けることがある。

マケインは高潔な人間である。その後調べるうちに、マケインとて100パーセントクリーンな政治家ではないということも知った。浮世にまみれた政治家を高潔と形容するのに違和感があるなら、こう言い換えてもいい
マケインは"honorable"な人物である。*5



そういう人になりたいと思う。







参考

リンク

Help Pass the PROTECT Our Children Act
#アメリカのテレビショー。番組ホストがマケインが法案成立を遅らせていると糾弾。僕が聞いた話とは180度異なる。

The Protect Our Children Act of 2008 成立までの時系列

念のためThe Protect Our Children Act of 2008成立までの年表を。

年月 出来事
2007/2/7 共和党マケインが上院に法案提出
2007/6/28 民主党バイデンが上院に法案提出
2008/9/25 両法案をあわせたものが上院で可決
2008/9/27 下院でも可決
2008/10/2 大統領に提出
2008/10/13 大統領が署名

*1:ちなみに普通の誘拐はkid napping。abductionというと被害者が女性の場合が一般的。

*2:司法省の報告書。古い: NISMART National Family Abduction Report, October 2002

*3:July 28, 2008, at Cong. Record S7554 and July 31, 2008, at Cong. Record S7882.

*4:"Let's do not make this a partisan issue." マケインは知人にそう語ったそうだ。

*5:【形】高潔な、正しい、全関係者に公平な、あっぱれな、高貴な、尊敬すべき、恥を知る、名誉となる 全く言い換えてない笑